借家の更新拒絶と正当事由
私は旧耐震基準の老朽化した3階建ての賃貸ビルを所有していますが、耐震性に不安があり、老朽化も進んでいるため、ビルの建替をしたいと考えています。2階・3階のテナントは私から事情を説明したところ、退去をしてもらえることになったのですが、1階で10年以上前から喫茶店を営んでいるテナントは当該ビルでの営業継続にこだわっており、退去に応じてくれません。
このような場合、次回の建物賃貸借契約の更新時期が到来する前に更新拒絶をして建物の明渡を請求した場合、明渡請求は認められるでしょうか?
- 更新拒絶の要件
- 借地借家法上、普通建物賃貸借契約について、貸主が更新を拒絶して賃貸借契約を終了させるためには、期間満了の1年前から6ヶ月前までの間に借主に対して更新拒絶の通知を行う必要があります(借地借家法26条1項)。
また、更新拒絶には、貸主が建物を自己使用する必要性がある等の正当事由(借地借家法第28条)が必要となります。 - そのため、貸主が借主に対して更新拒絶をするためには、遅くとも、期間満了の6ヶ月よりも前に到達するように更新拒絶通知を送付する必要があります。更新拒絶通知をしないと、期間の定めのない契約として賃貸借契約は更新されることになります(法定更新)。
- 更新拒絶通知は、借主へ更新拒絶通知をしたことを後日の証拠として残すために、配達証明付きの内容証明郵便で送付すべきです。
- また、貸主が更新拒絶通知をした場合であっても、借主が期間満了後に建物の使用を継続し、貸主が遅滞なく異議を述べなかったときも、法定更新の効果が生じるため(借地借家法26条2項)、貸主としては、明渡訴訟等の提起に時間を要する場合には、遅滞なく建物の使用継続に対する異議の通知についても配達証明付きの内容証明郵便で送付しておく必要があります。
- なお、本事案と異なり、貸主・借主間で更新契約書が作成されておらず、既に期間の定めのない賃貸借契約となっている場合には、貸主は6ヶ月前予告で解約申入れをすることで、賃貸借契約を終了させることができますが(借地借家法27条)、この解約申入れについても正当事由が必要となります。
- 借地借家法上、普通建物賃貸借契約について、貸主が更新を拒絶して賃貸借契約を終了させるためには、期間満了の1年前から6ヶ月前までの間に借主に対して更新拒絶の通知を行う必要があります(借地借家法26条1項)。
- 正当事由
- 上記のとおり、貸主から更新拒絶・解約申入れをして建物賃貸借契約を終了させるには、借地借家法に定める正当事由の要件を満たす必要があります。
- 正当事由の有無は、貸主・借主双方の自己使用の必要性を主たる要素とし、これに加えて、賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況、建物の現況、財産上の給付の内容(いわゆる立退料)等を補完的要素として判断されることとなります。ここで重要なのは、正当事由の第一の考慮要素は、貸主・借主双方の自己使用の必要性であり、それ以外の事情は補完要素に過ぎないことです。したがって、貸主に何ら自己使用の必要性がない場合は、いかに高額な立退料を提供しても、正当事由が具備されることにはならない点に注意が必要です。
- 実務的には、借地借家法によって借主が保護されている趣旨から、貸主からの更新拒絶について、貸主に建物の老朽化による建替えの必要性や、高齢の親族を介護するために、貸家に親族を居住させる必要がある場合等であっても、それだけで正当事由を満たすと判断される場合は少ないです。
- そのため、本問のように旧耐震基準の老朽化した建物であっても、裁判になれば、建物の耐震診断を行って、耐震性能が不足していることを証明する必要がありますし、耐震性能の不足が明らかになったとしても、耐震補強工事が物理的あるいは経済的に困難であることも証明する必要があります。
- また、これらの事情を証明できたとしても、無償で建物の明渡が認められることにはならず、借主に対し、正当事由の補完的要素として、立退料を支払わなければ、明渡請求は認められない可能性が高いです。
具体的な立退料の金額については、裁判例によって、①借家権価格を基礎としたり、②移転費用等(引越し費用、新建物の内装工事費、賃料差額等)を基礎としたり、③営業補償を基礎としたり、④賃料(月額賃料の何か月分)を基礎としたり、これらを積算したり、あるいは他の事情も考慮して決定される等、事案によって算定方法は異なっています。
- 耐震性能の不足と正当事由
- 令和7年10月、法務省民事局は「借地借家法の更新拒絶等要件に関する調査研究報告書(令和7年3月)」を公表しました。この報告書は、令和元年5月から令和6年3月までの借家関係の正当事由の判断がなされた裁判例を分析したうえで、どのような場合に裁判所が正当事由の具備を肯定して貸主からの明渡請求を認めているかについて、調査・分析をしているものです。
- 同報告書においても、近時は、建物が老朽化していることに加え、建物に十分な耐震性能がないことを理由として、貸主が「建替えの必要性」を主張する傾向が増えているとの指摘がなされています。
- 近時の裁判例を分析すると、耐震性能に対する社会的な関心が高まっていることに加えて、地震等の大規模災害に対して耐震性能不足の建物の建替えが奨励されている現状から、建物の耐震性能が正当事由を判断する際の重要な考慮要素の一つになっているといえ、耐震性能の不足を理由とする明渡請求が認められる事案が増えています(また、この他、貸主の自己使用の必要性として、敷地の有効活用や明渡後の具体的な計画の有無も考慮されています。)。
- ただ、耐震性能不足があったとしても、この事情だけで、直ちに正当事由の要件が具備され、明渡請求が認められることにはなりません。同報告書においても、経済的に不合理とはいえない程度の費用で耐震補強工事をすれば耐震性能を補完できるとして、貸主の正当事由を否定した裁判例が紹介されています。そのため、貸主が建物の建替の必要性を主張した場合にも、建替を行うことと、耐震補強工事等を行うことのどちらが貸主にとって経済的合理性があるかという点も考慮されるため、安価な費用で耐震補強工事を行うことが可能であれば、貸主の正当事由を否定する事情となってしまいます。
- 上記の他にも、同報告書では、貸主に明渡を受けた後の具体的な計画がないことを理由に正当事由を否定した裁判例、立退料の提供がないこと、不足していたことを理由に正当事由を否定した裁判例等が紹介されています。
- また、同報告書では、借主の自己使用の必要性を基礎付ける事情として、建物の使用期間、物件の代替可能性(他の賃借物件に移転することで借主の目的が達成できるか)という事情が重視されることが指摘されています。

